封筒の歴史について

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こんにちは。DMクラスターの飛田です。

仕事やプライベートなど様々なシーンで当たり前のように封筒を使っています。
また実際弊社でも封書のダイレクトメール発送は大人気で、紙封筒や、OPP封筒など様々な形で発送をさせて頂いております。
そんな当たり前のように使用されている封筒の歴史について、簡単にご紹介させて頂きます。

封筒の歴史について

原型は古代バビロニア

封筒の原型は、紀元前2000年頃の古代バビロニアまで遡ります。
「契約」という概念が発達し、重要視されたバビロン王朝時代。
契約や公的な記録を粘土板にくさび形文字で記し、それらを薄く伸ばした粘土で包み、契約相手などに送ったそうで、これが封筒のルーツと呼ばれています。
粘土の封筒は、包んだ後に釜で焼かれました。
そのため外側の粘土を壊さない限り中の文章を見ることはできませんので、文章を途中で見ることもできないため、情報漏洩を防ぐことが出来ます。

古代バビロニアが残した封筒の中には、
『契約を守らない人には、熱く溶けたアスファルトをかけられ、多額の銀を支払わなければいけない』
と記されたものもありました。
それくらい効力の高い契約を守るという役割が封筒にはあったようです。

16世紀から17世紀ごろヨーロッパで紙封筒が登場

紙が中国で発明されたのは、2世紀の後漢の時代。
日本には7世紀に、イスラムには8世紀に伝わりました。
その後十字軍遠征により、12世紀になってようやくヨーロッパにも「紙」が伝わりました。
そしてそこから紙が封筒として利用されるようになったのは、400年以上後、16世紀から17世紀頃だといわれています。

一般的に封筒の普及が始まったのは、イギリスの郵便制度改革が起こった1840年です。
当時の郵便料金は、便箋の枚数と送り先までの距離によって計算されており、封筒も1枚で数えられてしまうため、出来る郵便料金を抑えるために封筒は使用されず、便箋をそのまま折りたたんで封蝋をした形で送る方法が取られていました。
また郵便料金もそもそも高かったため、あまり広まっていなかったそうです。

しかし郵便制度改革により郵便料金の値下げや重量制の一律料金化をされたことにより、人々は手紙を封筒に入れることをためらわなくなり、「手紙を保護して運ぶ」ために封筒を使用するようになりました。
また5年後には封筒製造機が開発され、封筒を大量生産できるようになり、更に封筒の普及に拍車をかけることとなりました。

日本での封筒の起源は平安時代

手紙を入れるための封筒の起源は平安時代と言われています。
恋文などは木や花の枝に結んで送ることが雅とされていましたが、公的文書は、縦長の手紙をたたんで紙で包み、更にその上から「懸紙」と呼ばれる別の紙でくるんで上下を折り返したものが使用されました。
この「懸紙」が現代の封筒のような役割を果たしていました。

その後筒状の封筒が登場したのは江戸時代
江戸で町人文化が発達した1804年~1830年頃の文化・文政期には、絵が描かれた「絵封筒」という封筒がもてはやされました。
当時は「絵半切」といって、絵柄の書かれた便箋に手紙を書いて、絵封筒に入れて送るのが流行していたそうです。

その後日本でも文明開化の後、ヨーロッパと同じく郵便改革が起こりました。
郵便料金の一律化や全国的な展開が行われ、郵便が広く使われるようになり、封筒が一気に普及していきました。


普段何気なく使っている封筒ですが、紀元前から中の文章を守る役割で始まっていたとは驚きですね。

DMクラスターではお客様のご希望に合わせて多彩な封筒をご用意しております。
封筒は受け取る人が最初に見る物ですので、ただ送り届けるだけではなく、最適な封筒をご利用することで、DMの反響も変わってきますので、『こんな封筒でやりたい』『こんなイメージのものを探している』などございましたら、是非一度お問合せ下さい。

ご連絡お待ちしております。

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最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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